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『DAYS』 第一話 桜と家族

DAYS

男は油断をしていたわけではなかった。自分の作戦にミスも綻びもない。計画は滞りなく進んでいた。
男の背後にある大きな時計の針が一番上を指す。時計がこの世界に現れてからその瞬間までの十分間立っていればいいだけだった。彼の邪魔をできる存在などいないはずだった。そう聞かされていた。
それが何故、どうしてこうなったのか理解できない。
「ひ、ひぃっ……!」
男は目の前にいる怪物を見て押し殺したような叫び声をあげる。
シルバーアクセサリーを思わせるような全身銀色の細身の龍がいる。月明かりがその身を照らした。
龍は傷を負った目で男を見ている。狩る、食らい尽くす、叩き潰す。そんな龍の中の凶暴な感情が聞こえるような目だ。
「お前……、何なんだ!何者なんだ!」
男は龍の後ろで立っている“飼い主”に向かって言う。
桜の花が描かれた特徴的なシャツを着たその男は返事の代わりに気だるそうな声でこう言った。
「答えるつもりはないし、名乗るほど大層な名でもねぇ。さあ、汚ねぇ花、散らせよ……!」
主の声を聞いた瞬間、銀色の龍は男に飛びかかった。
恐怖のせいか、銀色の龍の動きはひどく遅く感じられた。金属でできているようなその肉体は月の光を複雑に反射して輝く。両手に持った紫色の剣は、この世のものとは思えない美しさと妖しさを感じさせる光を出している。
男はそれが自分を終わらせる存在だと理解していた。だが、その美しさに最後の瞬間まで見惚れていた。

第一話 桜と家族

桜が舞っていた。
雲のない水色の空を背景にして、風の流れに逆らうことなく飛んでいく。それは春の香りを乗せて目的もなく、どこかへ向かっていた。
自由に舞って地に落ちる花弁はその公園の至るところに広がっていた。舗装された道を埋め尽くし、土や草の上にも落ちる。
桜の木の下にベンチに座った制服姿の少女がいた。空を舞う桜も陽光降り注ぐ空にも目を留めることなく、そこにいる。
白い透き通るような肌の少女だった。ワインレッドのブレザーのせいか、余計に白く見える。ブレザーの襟につく寸前の位置で切りそろえられた真っ直ぐな黒髪が春風に揺れた。
大きくも小さくもない。健康的な十代の少女の体型だ。
降ったばかりの雪のようなはだと同じく、特筆すべきなのは彼女の顔立ちだ。丸みを帯びた美しい顔で、誰が見ても目を留めてしまいそうな魅力を持っていた。
だが、その美しさをかき消すように表情はない。まるで能面のようだ。
このくらいの年頃の少女ならば、『箸が転がってもおかしい』という言葉にもあるように、些細なことで笑う。それくらい感情豊かな年齢なのだ。
しかし、この少女はどことなく憂いを帯びた表情をしていた。何年も笑うことを忘れ、笑顔をどこかに置き去りにしているようにも見える。
彼女の名は園城(そのしろ)イオリ。
何も見ていないようなイオリの前を幸せそうな親子連れの家族が通った。幼稚園児くらいの子供と両親だ。三人とも笑顔のないイオリとは正反対の幸せに満ちた暖かい笑顔だった。三人で手をつないでいた。母親は空いた手に大きなトートバッグを持っている。父親はレジャーシートを持っている。花見をする予定らしく、どこで見るか相談しながら歩いていた。
イオリの視界から親子連れが消え、賑やかな談笑が耳に届かなくなった時、彼女の口が動いた。
「幸せな人なんて、みんな死んじゃえばいいのに」
少女の瑞々しい艶やかな唇から発せられたのは、その外見に似つかわしくない一言だった。それだけ言うと満足したのか、イオリは何も言わない。
「せっかくの桜の下で物騒なこと言うもんじゃあないぜ」
その声に反応する者が一人だけいた。イオリが座るベンチの隣のベンチに座っていた男だ。
彼の言葉に非難するような響きはない。独り言に対して独り言で返したようなものだった。
自分の言葉を聞いていた人間に興味を持ったのか、イオリは隣にいる男を見た。
イオリよりも少し年上の二十歳前後の男だ。
背は高く、細い。髪が短く、黒い。髪と同じ色のコートを羽織り、黒に近いジーンズを履き、同じく黒のブーツを履いている。二万円もあれば、全て揃えられそうなコーディネートだった。
旅行者なのか、スポーツメーカーのロゴが入った紺色の大きなドラムバッグを足元に置いている。
額の頭髪が少なくなってきていることと、白地に淡い色の桜の花が描かれたシャツを着ていること以外、目立った特徴がない男だ。顔もよくあるような普通の顔立ちで、イオリも青年が独り言に反応するまで存在に気付かなかったほどだ。
男の視線の先には桜があった。枝の先で咲き誇る桜と、空を埋め尽くすような桜吹雪を見ている。イオリの前を通った親子連れのような幸せそうな笑顔ではない。だが、桜が舞う光景を充分堪能して満足した表情がそこにあった。
「これだけ綺麗な桜があれば充分だ。ここの桜は初めて見る。だけど、いい桜だって判るぜ」
その男、桜庭(さくらば)シュウジは満足したような声で言った。何かに心から感動した時、思わず漏れるような声に似ていた。
イオリは彼から目を逸らす。そして、桜を見ることなく言った。
「おじさんには関係ないよ」
「お、おじ……!って、お前!」
イオリの言葉が信じられなかったのか、シュウジは驚いて隣のベンチの少女を見た。
「ふざけんな!俺は二十一だから!おじさんじゃねえから!」
「そんなこと聞いてない」
イオリは校章が入った通学鞄を持って立ち上がり、歩き出す。立ち上がる時、視界の端に、何か言いたそうにしているシュウジの姿が映った。
コンクリートでできた道を歩き、道路に面した出口に向かう。ふと前を見ると、よく知っている顔があった。
そこに立っていたのは上品な色合いの生地でできたスーツを着た紳士だった。足が悪いのか、濃い茶色のステッキで体を支えている。年齢は五十近い。
目元や鼻の作りが少しだけイオリに似ている男だ。整えられたグレーの髪は少しも乱れていない。彼の近くには運転手つきの黒塗りの高級車が止まっている。
この男はイオリの伯父、園城トシオだ。
「伯父さん」
トシオの姿を見て、イオリは駆け寄る。公園の中にいた時に比べて、少しだけ表情が明るくなる。
「もう仕事は終わったの?」
「後で戻らなくてはならないけどね。少し歩こうか」
トシオは運転手に向かって「後で連絡する」と告げ、公園の横の道を歩き出した。杖をついてゆっくり歩くトシオのペースに合わせてイオリは後ろについていく。公園の外にも桜が舞っていた。
「学校、行かなくていいのか?」
少ししてトシオが口を開いた。今まで表情を変えることがなかったイオリは、この時、少しだけ悲しそうに顔を伏せる。
「行きたくない」
「それでいいのか?」
トシオの声は優しい。だが、それでもイオリはその言葉に苛立ちや怒りを感じずにはいられなかった。
「行ってどうなるか判らない。幸せな人を見ると、ものすごく辛くて苦しくなるから」
今でもイオリの脳裏に鮮明に浮かぶ光景がある。それは四カ月ほど前の出来事だ。
彼女には父と姉がいた。母は一年前の冬に病死した。その苦しみから立ち直ろうとしている時だった。
二人は、イオリが見ている前で交通事故に巻き込まれる。寒い冬の日だ。雪が降っていた。滑らないように気をつけようと、姉と声を掛け合ったことも覚えている。
事故を起こした運転手は車を電柱にぶつけて死亡した。もう誰も裁くこともできない。イオリの憎しみを受け止めることもできない。
その冬の日から、イオリは外界を拒絶するように生きてきた。休まず登校していた高校へは通わなくなり、外出は必要最小限に抑えた。春が来て、半年前に災害に巻き込まれて行方不明になった伯父が現れてからは少しずつ外に出るようになったが、それでも、前の暮らしには戻れない。冬の日の出来事がイオリから生きる力を奪った。
「伯父さん、今日は一緒にいられる?」
「夜まではな」
イオリは優しい伯父の顔を見上げる。
妻がいるU県で国会議員になったトシオは、地域の発展のために働いていた。地元の人間の信頼も得ていて、支持されている。そんな彼が行方不明になったのは、半年前にU県M市の一部の地域で起こった災害の所為だった。
その災害がどんなものだったのか、イオリは知らない。ニュースや新聞では災害が起きたこと自体伝えられていないのだ。再会したトシオも漠然と“災害”という言葉を使うだけで詳しく教えてくれなかった。その時は、イオリも周囲への興味を失っていた為、知ろうと思わなかった。
トシオがイオリの前に現れて、手を差し伸べてくれた時、少しだけ前に進もうと思った。生きる気力は体に残っていないが、風に飛ばされる桜の花のように力なく生活していこうと思っていた。最後に残った唯一の家族、トシオと共に。

公園を出たシュウジは地図を見ながら歩いていた。彼もある公園を探していたが、目的地はこの公園ではなかった。
立ち止まり、上を見るとここでも桜が舞っている。目を閉じた彼は息を大きく吸い込んだ。肺の奥深くまで桜の香りで満たされるような錯覚を覚える。
「ここの桜も悪くねぇな。心が洗われる」
満足したように呟くと、彼は再び歩き出した。
地図に書かれていた場所は最初の公園から三十分ほど離れた住宅街にあった。イオリと出会った大きな公園とは違い、砂場やブランコといったありふれた遊具が並ぶ普通の公園だった。
彼はその奥にある公衆トイレの中に入っていった。二つある個室の扉の内、一つが『使用禁止』と張り紙がしてある。シュウジは迷うことなく、その扉に近づいた。懐から一枚のカードを張り紙にかざす。すると、金属が外れるような音がした。ロックの解除を確認してシュウジは扉を開ける。
そこにあったのはトイレではない。未知の空間だった。汚れた公衆トイレの中にあるとは思えない綺麗な白い階段がある。シュウジは地下へ向かっているその階段に足をかけて降りていった。薄い灯りに照らされているものの、周囲は暗い。オレンジ色の灯りのせいか、白い壁も橙色に染まって見える。
階段を下りた先には艶のある黒い扉があった。シュウジが手を触れるよりも先にその扉は開く。常人なら奇妙に感じるその現象を見ても彼は驚かない。
中に入ると、そこは異様な空間だった。まず、目につくのは大量の蝋燭(ろうそく)だった。火の点いた蝋燭が所狭しと並んでいる。総面積は上にある公園と同じくらいか。扉の近くには黒い机があり、その奥にはいくつもの黒いタンスがあった。
「エコー、いるんだろ?」
シュウジが奥に向かって呼びかけると、タンスの合間から一人の人物が出て来た。
一言で言うなら異様な存在だった。シュウジは初めて会った時、彼女を“魔女”と形容した。
頭まで隠すような紺色のローブに口だけ出た白い仮面。それを見ただけで、彼女がどれだけ奇妙な人物か判る。肌を露出している部分がほとんどない。
「相変わらず時間通りだな。そういうところは嫌いではない」
声からして若い女性だと判る。それも少女の声だ。
魔女を思わせる少女、エコーは机の傍にある椅子を引くとそれに腰掛けた。シュウジも同じように近くにあった椅子に座る。
シュウジも始めはエコーの奇抜な格好に驚いていたが、何度も彼女に与えられた仕事をする内に気にならなくなってきた。少しずつ慣れてきたのだ。
「聞いてくれよ。ここに来る途中、桜を見ていたら不良女子高生にひどいこと言われたんだぜ」
シュウジは持っていたドラムバッグを開けながら言う。彼はバッグの中を覗き込むと何かを探し始めた。
「花を見ていたのか。似合わないことをするのだな」
「他の花なんかはどうでもいいんだよ。ただ、桜だけは別だ。俺の一番好きな花だ。綺麗な桜を見ていると、その時は心がすっきりする。胸の中にあるぐちゃぐちゃしたどす黒いものが消えていくように感じるからな。お、あった」
彼が取り出したのは細長い箱だった。工具箱を思わせるような形の箱を黒い机の上に置いて蓋を開けた。
中には大量のカードが入っていた。すし詰めになっていて、これ以上は一枚も入らないように見える。
シュウジはエコーにそれを見せた。エコーは白い手袋をした手で箱を受け取り、中のカードを取り出した。中に入っていたカードの裏面は赤い。血を連想させるような色だった。
「たくさんのカードを集めたのだな」
「会うのが一ヶ月ぶりだからな。カードだって溜まる。それよりも、何で東京に来いなんて言ったんだ?今までみたいにU県でやればいいじゃねぇか」
「私の本拠地はここだ。それにいつまでもU県で戦うわけにはいかなくなった」
エコーは受け取ったカードを持って立ち上がると、シュウジに背を向けた。タンスの一つに近づくと、引き出しを開けてそれらをしまう。別のタンスに移動すると、今度は十枚近い数の一万円札を取り出した。それをシュウジに渡す。
「もう少し色をつけてくれてもいいんじゃねぇのか?U県からここまで移動しながら戦ってきたんだぜ?」
「交通費や諸経費はU県を出る時に渡していたはずだ。こちらでの住居は近い内に用意する」
「頼むぜ。俺一人じゃないんだからな」
「判っているさ。保護者はがんばらないとな」
エコーは再び、シュウジに背を向けるとタンスの引き出しから渋い銀色の天秤を取り出した。それを机の上に置くと、指を鳴らす。すると、どこからともなく台車がやってきてエコーの手が届く位置に止まった。台車の上には数え切れないほどの火が点いた白い蝋燭が置かれている。
「今日はどれだけ持っていく?」
「一ヶ月の戦いでかなり使ったからな。蝋燭十二本分。だから、デッキにすると十八個と少しか」
「いいだろう」
エコーは薄い手袋をはめただけの手で蝋燭を一本つかむ。彼女の手が触れた瞬間、その蝋燭の炎は消えた。
魔女にも似た少女はその蝋燭を天秤の片方の皿に置く。すると、その蝋燭は青い炎を出して一瞬で消えた。同時に隣の皿が青い炎を発する。しばらくして炎が消えると、そこには数十枚のカードが置かれていた。裏面が濃い青のカードだ。
シュウジは天秤の皿に置かれたカードをつかむと、持ってきた箱に入れた。二人はその作業を銃二回繰り返す。台車の上の蝋燭が消えた時、シュウジの箱の中身は満杯になった。台車は現れた時と同じように一人でに動き、どこかへ消える。
「U県からここへ来るまでの道中で君も感じていただろう。戦闘回数が増えている。それは奴らが
U県から東京に移動しているからだ」
「俺は気付かなかったな。それより、こっちに近づくにつれて戦う回数が増えたのって言ったっけ?」
シュウジの問いに対してエコーは口元だけで微笑んだ。
「聞いてはいない。だが、カードを見れば戦闘のことは判るさ」
「お前って本当に魔女みたいだよな」
シュウジはそう言うと箱をドラムバッグの中にしまった。ドラムバッグを担いでエコーに背を向ける。
「そうだ。お前も外に出て桜見ろよ。綺麗だぞ」
「言われるまでもない。外に出たいと思った時は、出ているさ」
「本当かよ」
そう言ってシュウジが横目でエコーを見た時、彼女はどこから取り出したのかティーカップを持っていた。湯気の立つ熱い飲み物に口をつけている。
「相変わらず、魔女みたいだよな」
自分にだけ聞こえるような声でシュウジは呟き、後ろ手でドアを閉める。
「聞こえてるぞ」
ドア越しにシュウジの背中に声がぶつかった。驚いたシュウジは振り返ってドアを見た。
(地獄耳かよ)
今度は聞こえないように心の中で呟いてから、彼は地上へ向かって歩き出した。

夜が来た。
伯父との楽しい会話も、途中で観た映画も、レストランで食べたディナーもイオリを満足させるものではなかった。
映画は内容が頭に入らなかった。映像もどこかぼやけたように感じた。観客を惹きつけるような煽り文句の割にはこの程度か、とイオリは落胆した。
ディナーは高級なフレンチだった。値段を見たわけではないが、普通の中流家庭に住む人間では簡単に食べられない料理だというのは判る。だが、味を感じられない。砂や小石を食べているような味気ない食事だった。
伯父はイオリにとって唯一の家族だ。トシオも楽しい話題をいくつも用意していた。イオリと楽しませるための努力をしていた。それなのに、その会話すら楽しくできない。
数か月前の出来事が今もイオリの周囲を味気ない灰色に染めている。美しい色もない。美麗な音も心地よい香りもない。悲しみが彼女の喜びを奪っていった。
「しばらく歩こう」
杖をついてイオリの前を歩く伯父は、昼間来た公園に向かっていた。
暗い夜も桜が舞っている。人工の灯りが薄い色の花弁を照らす。イオリはそれを見ることもなく、トシオの後ろを歩いていった。
道を一歩外れた芝生の上では夜桜を見に来た花見客が集まっている。多くの人が楽しむ姿が見え、笑い声が聞こえる。それらを見て、聞いた時、イオリは胸が苦しくなるのを感じた。呼吸が早くなり、抑えられなくなる。
「イオリ……?」
トシオは立ち止まっていた。青白い顔をしたイオリを見て、彼女の傍へ歩み寄る。
「少し休もう」
そう言ってトシオはイオリの手を取ると、近くのベンチまでやってきた。花見客から少し離れたところにあるベンチだ。
ベンチに腰掛けたイオリは目を閉じて、両手で耳を塞いだ。外界の情報をシャットダウンしようと試みる。だが、それは不可能だった。
花見客の笑い声は生きようとしないイオリを嘲笑うように彼女の脳内に入り込んでくる。頭を振って追い出そうとしても、消えることはない。
本当は彼女だって花見客の笑い声が彼女を笑っているものでないことくらい判っている。それでも、自分を笑っているように聞こえてしまう。意識はすぐには変えられないのだ。
「大丈夫かい?イオリ」
「駄目だよ、伯父さん。やっぱり、多くの人がいるところは嫌。誰かの笑顔があたしを傷つけるの。他の人の幸せな姿があたしを殺すの」
「そうか。でも、もう心配しなくていい」
優しいトシオの声の後で、花見客の笑い声が少しずつ消えていった。奇妙に感じたイオリは手を耳から離し、目を開けた。
「あ……」
そこにあったのは暗闇だ。光を完全に閉ざした世界がイオリの目の前に広がっていた。立ち上がり、手を伸ばすと硬いものに触れた。まるで壁があるようだ。その壁はイオリの四方にある。今のイオリは一メートル四方の中に閉じ込められてしまっている。
彼女は奇妙な音を感じ、上を見た。吊るされた丸いものが右へ左へと交互に揺れている。同時に時計の針の音が聞こえた。
「伯父……、さん?」
「それは滅亡時計と言うものだ」
「え……?」
伯父が言っていることの意味がよく判らない。話についていけないイオリに説明することなく、トシオは話を続けた。
「人間一人を媒介にして作り出す特殊な装置だ。それは周りの人間の生命エネルギーを吸収する。花見客が黙っただろう?力を失って眠ってしまったからだ」
得意そうに話す伯父の声は優しい響きを持っている。だが、それ故に話している内容がひどく恐ろしいものに感じられる。荒唐無稽な言葉の羅列が実体を持った恐怖として鎮座しているように見える。
「あたし、閉じ込められているの?どうして……?」
「生命エネルギーを充分に吸収した滅亡時計は、破裂し、周囲に毒をばらまく。媒介となった人間も周囲にいた人間も死亡する」
トシオはイオリの問いには答えない。自分の話したいことだけを自分のペースで話している。
「半年前のあの日を思い出すよ。私もあの時、あの場所でこの滅亡時計を見た。これが破裂し、町が滅ぶのを見ていた。その日、園城トシオという人間は死亡し、生まれ変わったのさ」
暗闇の中にいるイオリには、トシオの顔は見えていない。だが、彼女の頭には得意そうに話すトシオの姿をしたトシオでない者の姿が浮かんでいた。
「そっか……。そうなんだ。トシオ伯父さんじゃないんだ。どこか違うって思った。だから、家族って気がしなかった」
彼女は力を失ったようにそこにあったベンチに座る。静かにゆっくりと、途切れそうな声で感情を吐き出していく。その内、熱いものがこみ上げてくるのを感じた。頬を熱い何かが伝う。触れてみるとそれは液体だった。涙だ。
それを知った時、イオリは自分の中に生まれた感情の正体を知った。久しく忘れていたその感情は、悲しみだ。
「でも……、でも、会えてうれしかったのに!やっと、一人じゃないって思えたのに!」
流す涙と共に、力いっぱい叫ぶ。
一人でいた冬はとても寒く、凍えてしまいそうだった。感情は間違いなく凍りついていた。凍りついた心が突き刺さり、体が苦しくなるのに耐えながら過ごしていた。その苦しみを和らげてくれたのはトシオだった。唯一の救いのはずだった。
それが嘘だと知って、失ってしまった今、痛みはさらに強くイオリを傷つける。
「返してよ!伯父さんを返して!今のあたしには唯一の家族なのに!」
「黙って、そこで滅んでいけ。滅亡を体感しろ」
それは、トシオの話し方ではない。同じ声をした全くの別人だ。この時、イオリの中で完全にトシオは死亡した。
「ああ、そうなんだ……。あたし、もういなくなっていいんだよね。つらかったもの。だから……、お父さんとお母さんとお姉ちゃんがいるところに行く。これで何もかも終わりになるんだよね」
イオリは乾いた声で言うと目を閉じた。一人に疲れた少女は、トシオだった者が言う滅亡を受け入れ、全てを放棄した。

トシオは滅亡時計を見上げる。
その形は黒い長方形だった。装飾を一切省いた柱時計のようにも見える。アナログの文字盤には一番上に書かれた『0』の数字以外のものは存在しない。0からスタートした針は時間をかけて再び、0に戻る。長針も短針もない。一つの針が滅亡へのカウントダウンのために動いていく。文字盤の下では振り子が一定のリズムを刻んでいた。
周囲には、倒れた花見客がいる。阿鼻叫喚の地獄絵図だ。それを眺めたトシオは満足したように上品な笑みを浮かべる。
滅亡時計が動き出したら、半径五キロ以内の人間は行動が不可能になる。そのまま、何が起きたか判らずに死んでいくのだ。
「滅亡時計を作り、十分待つ。簡単な仕事だ」
彼には成功する自分のビジョンが見えていた。それは人間だった時の園城トシオの時から変わらない癖だ。成功するビジョンを思い描けば、目的を見失わずに行動できる。
自分の未来を思い描きながら、滅亡時計に背中を預けていると彼に近づく人影があることに気付いた。滅亡時計の周囲で動ける人間などいない。その常識を覆す者が彼の視界に入ってきたのだ。
「夜桜って風流でいいよな。光に照らされた桜も綺麗だ。だからって、それを見ながら酒を飲む奴は理解できねぇ。もし、俺が世界を変えることができるのなら、酒を消し去るね」
男の声だ。多くの人間が倒れているという奇妙な状況の中で、彼は世間話でもするような口調でトシオに話しかけてきた。
トシオまで十メートルの距離まで近づいてきた時、その男は立ち止まる。桜が描かれたシャツを着た青年、桜庭シュウジだ。
「君は何者だ?何故、この滅亡時計の近くで自由に動ける?」
トシオの声は落ち着いていた。本当は未知なる敵の存在に怯えていたが、それを必死に抑えて問う。目の前にいる青年は、足元で倒れている花見客を見ながら答える。
「一度に複数の質問をするなよ。名乗る程の者でもねぇし、動ける理由は俺にもよく判らねぇ」
「最後に一つ聞こう。何をしに来た?」
「俺は桜が好きだ。だから、桜の下で悪事を働く奴が許せねぇ。そんな奴がいたらやることは決まってるだろう?」
シュウジは挑発的な目でトシオを見た。その目は、いつでもトシオを倒せると言っているようだった。
突然の乱入者を見たトシオは頭を抱えた。だが、恐怖しているのではない。うつむくような姿勢を取り、頭部から取り出すものを見せなくするためだ。
トシオの額が割れる。スリット状の隙間から数枚のカードがこぼれ落ちた。頭を押さえた右手でそれをつかんだ時、額に現れたスリット状の隙間は消えていた。シュウジを殺す準備を終えたトシオは顔を上げた。裏面が血のように赤いカードが目に入る。
「ここは満員だよ。花見なら余所ですることだ」
トシオはシュウジに向かってカードを投げつける。そのカードは空中で金色の光を放ち、変化していく。変化したカードはくちばしがついた黄色い球体の化け物になった。自動車のタイヤほどの大きさの化け物はシュウジ目掛けて突進する。その数、四体。
「《予言者クルト》。ここで動けるというのが気になるが、ただの人間ならこれで何とかなる。やれ!」
シュウジはカードが化け物に変化したことに驚くこともなかった。何も言わずに右手の掌を見せる。そこには一枚のカードがあった。
「《クエイク・スタッフ》物体化(マテリアライズ)!」
呪文のようにカードの名前を告げると、シュウジの掌でカードが黒い光と共に変化していく。それは一メートル以上ある棒状の物体へと変化していった。先端の形状は鎌に近い。だが、金色の瞳と口があることから化け物とも言える。
「デュエル・マスターズカード!?」
トシオは、そこで初めて驚きを表面に出した。滅亡時計の周辺で動けるだけの人間なら対処には困らないと考えていたが、その考えが甘かったことを知る。シュウジも彼と同じ力――デュエル・マスターズカードを扱える存在なのだ。
シュウジは意思を持った鎌《クエイク・スタッフ》を両手で構えると力いっぱい振り回した。周りにいた四体の《予言者クルト》は真っ二つに切断されていく。地面に落ちた《クルト》の死骸は変化した時と同じように金色の光を発し、カードに戻っていった。
「ご忠告ありがとう。だが、聞く気はさらさらない。ここの桜は格別だ。この辺りの桜を見たが、ここが一番綺麗だったぜ。余所に行く気はねぇ!」
シュウジは《クエイク・スタッフ》の切っ先をトシオに向けて微笑む。《クエイク・スタッフ》が叫び声をあげるのと同時に、シュウジは両脚に力を入れて飛びかかった。そのまま、《クエイク・スタッフ》を振り下ろす。
しかし、それがトシオに到達することはなかった。彼の前には五枚の目に見えない壁が現れる。それがシュウジの攻撃を阻んだのだ。逆にダメージを受けた《クエイク・スタッフ》は黒い光を出して消えていく。カードの姿に戻ると、そのカードは青い炎を出して灰になってしまった。
「綺麗な桜の下には死体が埋められているというのを聞いたことがあるかい?」
トシオは落ち着いたのか、静かに息を吐き出した。彼の前にはいつのまにか黒いテーブルが置かれている。テーブルの上にはカードが並んでいた。トシオの右手で取れる位置に置かれたカードの束。そのすぐ横に五枚並んで置かれたカード。どれも、《クルト》を呼び出すのに使ったものと同じ、デュエル・マスターズカードだ。
仕上げとでも言うように、トシオは右手の指を鳴らす。すると、シュウジとトシオの周囲二十メートル近い空間だけが色を失っていった。枯葉が残る地面も、花見客のものらしい鮮やかな色の空き缶も、全て灰色に変化していく。色を失っていないのはトシオとシュウジだけだ。
「これは一種のパラレルワールドのようなものだ。君と私を隔離した。私は今からここで君を処刑する。それが終われば元の空間に戻るから心配はいらない。美しい桜の養分として、お眠りなさい」
「なら、てめぇを埋めてもっと綺麗に咲いてもらおうじゃねぇか」
シュウジはドラムバックを開けてカードを入れていた箱を取り出す。シュウジが箱を開けると、その中から数十枚のカードが勢いよく飛び出した。
『stand by』
箱から電子音声が聞こえる。その直後、シュウジの前にも黒いテーブルが現れた。シュウジは脇に箱を置く。宙を舞っていた数十枚のカードは空中でシャッフルされた後、テーブルの上に置かれる。上のカード五枚が、トシオのテーブルの上と同じように束の横に移動した。
『shield on』
電子音声と共にカードの数と同じ見えない壁が現れる。トシオが《クエイク・スタッフ》の斬撃を防いだのと同じ盾だ。
最後にシュウジは束になったカードの上に右手をかざす。すると、その上のカード五枚がシュウジの右手に向かって飛んでいった。それら五枚をつかむと、彼はカードの内容をチェックする。
シュウジとトシオの視線がぶつかる。奇妙なカードを使った戦いが始まった。
「先手はもらった。チャージ、そして、召喚!」
シュウジは五枚の壁を生み出すカードの手前にカードを置いた。二枚目のカードを置いた直後、それらを全て横向きに倒す。すると、手元にあるカードの中の一枚が青い光を発した。彼は青い光を放つカードを五枚の壁のカードの奥に置いた。
カードの発光は止まることがない。より激しく発光している。それに同調するように、シュウジの壁の前に青い色をした竜巻のようなものがいくつも現れる。その中から、灰色の体の亀のような生物が現れる。甲羅は体の一部に青く小さなクリスタルのようなものがいくつもついたその亀は甲高い声で鳴いた。
声が途切れた瞬間、シュウジの右手にあるカードの束、山札も青い光を発した。彼はそこから一枚カードを引くと手札にあったカードを一枚、右側に投げ捨てた。
「《シンカイタイフーン》だ。さあ、かかってこいよ」
「水文明のクリーチャーか。用心する程のものでもなさそうだね。カードをマナゾーンにチャージして、召喚」
トシオも二枚目のカードを五枚の壁のカードの手前に置く。彼の手札の内、一枚が金色の光を放った。シュウジと同じ動作でそれを置くと、彼の場にも奇妙な生物が現れた。
それは金色の装甲に身を包んだ人型のロボットだった。両肩と頭部についた送電線を思わせる装飾がスパークしている。
「《鋼鉄大使ジャンボ・アタッカー》だ」
「《クルト》と同じ光か。狙いはまだ判らねぇな」
シュウジはカードを引くと、チャージという壁の手前のゾーンにカードを置く動作を行った。三枚のカードがあるのを確認してそれら全てを横向きに倒す。
「《ボーンおどり・チャージャー》を使う!」
シュウジは手札の中にあった黒く光るカードを引き抜くと、それを空中に向かって放り投げた。地獄から響くような暗く陰気な歌声が周囲を包んだ。彼の山札が黒く光ると、上のカード二枚がどこかへ飛んでいく。放り投げた《ボーンおどり・チャージャー》のカードは壁の手前のゾーン、マナゾーンに着地する。
「墓地を増やすね。何を仕込んでいるのかな?」
「当ててみろよ。俺の考えが判った瞬間、あんたは絶望すると思うぜ」
「言ってくれるね」
トシオはチャージなどの一連の動作を終えて二枚目のカードを壁のカードの奥へ置いた。金色の光と共に場に新たな生物が現れる。
「《宝翼機ミール・サンダー》を召喚!そして、邪魔な《シンカイタイフーン》をタップする」
光の中から出たのは、アジアのどこかの国の仮面を思わせる生物だった。金色の仮面から勾玉に近い形の手と派手な色の翼が生えている。
《宝翼機ミール・サンダー》は耳を裂くような高い音を発し、口から金色の輪を吐き出す。いくつも吐き出されたそれは《シンカイタイフーン》の体に絡みつき、手錠のように拘束していった。
「《シンカイタイフーン》はブロッカーだが、タップされていてはブロックできまい。《ジャンボ・アタッカー》でシールドを攻撃しよう」
トシオの命令を受け、《ジャンボ・アタッカー》は両の拳を天に突き出した。両肩と頭部と同じように拳も電気を帯びてスパークしている。
「攻撃だけで終わりではないよ。アタック・チャンスで《合身秘伝メカ・マシーン》を唱える!」
トシオが手元にあった青く光るカードを放り投げると、《ジャンボ・アタッカー》はスパークした両腕を振り回した。その軌跡が漢字の『械』を思わせるような字を生み出す。その字が青い光を発するとトシオの山札が青い光に包まれた。
「《メカ・マシーン》はグレートメカオーの攻撃時にコストを支払わずに唱えられる呪文だ。この効果で私は二枚カードを引く。さらに、シールドブレイク!」
ゆっくりした動きでシュウジを守る壁、シールドの前まで移動した《ジャンボ・アタッカー》はスパークした拳を打ちつける。雷を思わせる閃光と共に、一枚のシールドにひびが入る。《ジャンボ・アタッカー》がもう一度殴ると、ひびが入ったシールドはガラスのように割れていった。
『break』
シュウジが持っていた箱が警告音と共に電子音声で注意する。彼はそれを見ることなく、「言われんでも判ってる」と呟いた。破られたシールドと同じ位置のカードを手に取ると、行動を開始した。
「チャージ。そして、呪文を唱える。《ヤバスギル・ラップ》!」
シュウジは持っていた黒く光るカードを放り投げると、空中から髑髏が彫られた黒い剣に変わる。その剣《ヤバスギル・ラップ》は意思を持って空中を飛び、《ジャンボ・アタッカー》の胸の前で止まった。少しでも動けば《ジャンボ・アタッカー》の胴体を貫ける距離だ。
「あんたがクリーチャーを破壊するか、俺が墓地か手札からクリーチャーを出すか。選ぶのはあんただ」
シュウジの挑発的な笑みを見た後で、トシオはシュウジの墓地にある今まで捨てられたカードを見た。《シンカイタイフーン》と《ボーンおどり・チャージャー》によって意識的に捨てられた三枚がそこにある。
(まだ墓地に強力なカードは置かれていない。後は手札だが、手札の数もそう多くはない。一体失うのは怖くはないが、早めに決着をつけたいものだ)
思考を終えたトシオは紳士的な笑みをシュウジに向ける。
「私は自分のクリーチャーを破壊しない」
「了解だ」
その発言の直後、《ヤバスギル・ラップ》によって生み出された剣が消える。《ジャンボ・アタッカー》を見ていたトシオがほっとしたように息を吐いた瞬間、《ジャンボ・アタッカー》が緑色の炎に包まれる。
「何が……!」
「《ヤバスギル・ラップ》は墓地か手札からクリーチャーを出す呪文だぜ?その効果で俺は手札からこいつを出した」
シュウジの声を聞いてトシオはその生物を見た。いや、その巨体を見上げたと言ったほうが正しい。
いくつもの龍の頭を持ち、その口は緑色の光を発している。銀色に光る巨大な尾は白い蛇を思わせるようだった。紺とも黒とも紫とも言える色の上半身と下半身をつなぐのは、赤い菱形のクリスタルだ。
「何者だ……!」
巨大さと異様さに混乱したトシオはその生物の正体を虚空に向かって訪ねる。それに答えたのは怪物の飼い主、シュウジだ。
「《偽りの名(コードネーム) ヤバスギル・スキル》。場に現れるタイミングか攻撃時に墓地からコスト7以上のカードからドラゴン・ゾンビを手札に加えることで能力が相手の6コスト以下のクリーチャーを破壊できる。俺は既に墓地に置いていたドラゴン・ゾンビを手札に加えて《ジャンボ・アタッカー》を破壊したのさ」
シュウジの説明を受けてトシオは何が起こったのか理解した。同時に手札にあれだけの化け物を仕込んでいたシュウジに恐怖し、震えた。
「君の戦い方は恐ろしい。早く行動しなければ、ペースを奪われてしまうな」
トシオはテーブルの上の空いたスペースに手札を置くと、ハンカチで額を拭った。それ思考の切り替えにつながったらしく、震えは止まった。スムーズな手つきでチャージを終えて召喚を始める。
カードを置いた時、場の一部が青く発光する。そこから真っ白な救急車が現れて、宙に跳んだ。救急車のボディが割れ、音を立てて変形していく。運転席の上に頭部が現れ、人型のロボットとなったところで着地した。
「《救急(けっぱれ)機装レスキュー・スペース》だ。これで私が召喚するグレートメカオーのコストは最大で2少なくなる」
「メカオーが多いと思ったが、やはり同一種族で固めたデッキだったか。悪いが、俺は変形ロボットで遊んで喜ぶようなガキじゃないんでね。潰させてもらうぜ!」
既に《ヤバスギル・スキル》が場にいることで安心しているのか、シュウジの表情は穏やかだ。彼がカードを引いた時、彼の闘志に呼応するように《ヤバスギル・スキル》が夜空に向かって吠えた。

イオリはまだ暗闇の中にいた。そこで多くの音を聞いている。
金属がぶつかり合うような音。巨大な怪物が吠える声。炎であったり、水であったり、竜巻であったり……。
それと共に声が聞こえた。
「少しは人間だった時の記憶と感情が残ってるんだろ?よくこんなことができるな」
(昼間のおじさん……?)
それは間違いなく、昼間に公園で会った男の声だ。隣のベンチに座っていて桜を眺めていたあの男だ。
「人間だった時の記憶と感情があるからできるのさ。失った命を取り戻す方法はこれしかない!」
一緒に聞こえてきたのは伯父であるトシオの声だった。何も見えないイオリには、二人は言い争っているように聞こえる。
「身勝手だ。だけど、理不尽だな。お前は絶対に俺が解き放ってやるよ。役目から解放してやる!」
シュウジの声は決意した男の声だった。それを聞いたイオリは暗闇の中で小さな光を見た気がした。そして、静かに手を伸ばした。

「《ヤバスギル・スキル》!W・ブレイクだ!」
既にトシオのクリーチャーは《ヤバスギル・スキル》の能力によって破壊され、全滅していた。残った二枚のシールドだけが彼を守る壁として存在している。
だが、それも《ヤバスギル・スキル》の全身にある口から発せられた緑色の炎によって焼き尽くされていった。炎の温度に耐え切れず、二枚のシールドは音を立てて割れていく。それを見て、トシオはシールドに力を与えていたカードに触れた。
「ん……?これは!」
その瞬間、トシオの脳裏にイメージが伝わり、触れたカードが光る。彼は、一枚目のカードをめくった。
「シールド・トリガー、《スパイラル・ゲート》だ!」
表向きにしたカードをトシオが《ヤバスギル・スキル》に向かって投げつけた時、《ヤバスギル・スキル》の足元から大量の水が噴き出す。それに飲みこまれた《ヤバスギル・スキル》の体が、溶けるようにして消えていった。
「シールド・トリガーか。ここで《ヤバスギル・スキル》を戻されるのは正直辛いぜ」
「シールド・トリガーは《スパイラル・ゲート》だけではない。《消化機装コントロール・ファイア》召喚!」
次に現れたのは、真っ赤な消防車だった。けたたましいサイレンの音と共にその体がロボットへと変形していく。人型のロボットへの変形を終えた《コントロール・ファイア》はサイレンの光を浴びせてシュウジを挑発した。
「やっと全滅させたと思ったら、これか」
シュウジは呆れたように言うと自分の墓地を見た。そこにはまだ多くのカードがある。それに、彼の場には《シンカイタイフーン》が鎮座していてシールドが四枚あるのだ。
そう思って安心していたシュウジの眼前で、墓地にあったカードが突然消え去る。驚いて顔を上げると、トシオの場に新たなクリーチャーが現れていた。建機を思わせる形のロボット《埋め立てロボ・コンクリオン》の仕業だ。
「《埋め立てロボ・コンクリオン》は相手の墓地にあるカードを山札の下に戻す能力を持つ。もう君の墓地利用は通用しないよ」
続けて、トシオは《ジャンボ・アタッカー》を召喚して行動を終えた。
「もう墓地なんかいらねぇよ。一発殴ればいいだけだ。《黒神龍ギランド》召喚!」
シュウジの場に、今にも崩れ落ちてしまいそうな肉体の黒いドラゴン《黒神龍ギランド》が現れる。それを見たトシオは鼻で笑った。
「何がおかしい!」
「クリーチャーを召喚したとしても無駄さ。私の《コントロール・ファイア》はブロッカーだ。《ギランド》の攻撃を受け止めて他のグレートメカオーで君を攻撃できる。それに、攻撃する前に消してしまえば何も問題はない」
トシオは手札から一枚の青く光るカードを引き抜いた。そのカードの輝きは今までクリーチャーを召喚した時の輝きと変化はない。
だが、それを見た瞬間、シュウジは例えようのない寒気を感じた。それはトシオの余裕を持った表情のせいなのか、それとも彼自身の第六感のせいなのかは判らない。
「君も《ヤバスギル・スキル》という切り札を見せてくれたのだ。私も切り札を見せてあげよう!進化!」
トシオは自分のテーブルの上にあった《コンクリオン》のカードの上にそのカードを重ねた。その瞬間、コンクリオンの体が宙に浮いて青い光を放った。同時にショベルカー、ミキサー車、ダンプカーなどの建機が地中から現れる。建機はそれぞれ変形をして《コンクリオン》の装甲として融合していく。
「変形ロボットで遊ぶ年齢ではないと言ったね。合体ロボットもお嫌いかな?」
そう言って微笑むトシオの前で《コンクリオン》は全く別のクリーチャーへと合体を遂げた。ショベルがついた左腕とミキサーの右腕をついた右腕を振り回すと、地面に着地し、周囲を振動させた。
「合体完了。《合身巨兵エクスキュベーター MS(エムエス)》!」
合体を終えた《合身巨兵エクスキュベーター MS》はエンジンを唸らせ、シュウジのシールドへと突撃していく。
「確かにすごそうだな」
「ふん、“すごそう”ではなく、“すごい”と言わせてみせたいものだね。では、《エクスキュベーターMS》の真価をお見せしよう」
トシオは自分の山札の上のカードをめくるとシュウジに見せる。同時にシュウジの山札の上のカードが触れずに宙へと舞い上がった。
「《エクスキュベーター》の攻撃時にガチンコ・ジャッジが発動する。今回は私の勝ちのようだな。では……」
満足した様子で指を鳴らし、トシオは《ギランド》を見た。《エクスキュベーター》は右腕のミキサーからジェル状の物体を出した。《ギランド》の肉体はジェル状の物体に取り込まれながら溶けていく。同時に、シュウジの場にあった《ギランド》のカードが宙を舞って持ち主の手元に戻った。
「《エクスキュベーター》の能力はクリーチャーを手札に戻す能力!さらに、ガチンコ・ジャッジで使用したカードを手札に加えることができる!障害の排除と手札補充を同時に行う切り札が倒せるか!」
《エクスキュベーター》のショベルがシュウジのシールドを狙う。だが、シュウジはその前に《シンカイタイフーン》を配置し、妨害を試みる。
「ブロックだ!《シンカイタイフーン》!」
《エクスキュベーター》のショベルは巨大だ。攻撃を受け止めた《シンカイタイフーン》を潰すと、その肉体を地面にめり込ませた。
「まだ攻撃は終わりではないよ。それ!」
《エクスキュベーター》の肉体を飛び越えて《ジャンボ・アタッカー》がシュウジのシールドに近づく。帯電した拳がシールドを砕いていった。
『break』
「だから、判ってるっつーの。さて、どうするかな?」
シュウジは《シンカイタイフーン》のみになった墓地を見る。これでは《ヤバスギル・スキル》の力を使うことができない。自分の切り札の真価を発揮するため、彼は二体の《シンカイタイフーン》を召喚した。合計二枚のカードを墓地に送りこみ、行動を終える。
「《エクスキュベーター》のガチンコ・ジャッジは確かに強力だ。だが、戻せるのは一体だけ。ここで止めて次のターンに《ヤバスギル・スキル》の能力を使う!」
「ふむ。いい判断ではないかな。だが、私の切り札が一枚だと言った記憶はない」
金色に光るカードを引き抜いたトシオはすぐに召喚を開始する。地中から様々な色のブロックが現れ、一か所に集まっていく。大量に集まったブロックの数は百万。それらが一体の巨人を形成した。
「《キャプテン・ミリオンパーツ》だ。さあ、最後の攻撃だ!喰らえ!」
《エクスキュベーター》が動き、二度目のガチンコ・ジャッジが行われる。互いに山札の上のカードを見せ合った瞬間、《エクスキュベーター》のミキサーが《シンカイタイフーン》一体を標的にして動いた。
「一体は仕方がない。だが、もう一体の《シンカイタイフーン》で――」
「そうはいかない!《キャプテン・ミリオンパーツ》の能力発動!」
《キャプテン・ミリオンパーツ》の赤いマントが風になびく。すると、彼の腕がブロックに変形し、《シンカイタイフーン》に向かって飛んでいった。ブロックは、シールドの前に移動しようとした《シンカイタイフーン》の足にくっつき、動きを止める。
「これが《キャプテン・ミリオンパーツ》の能力。バトルゾーンにあるグレートメカオーはブロッカーを得る。そして、グレートメカオーではないクリーチャーによるブロックは不可能!」
《エクスキュベーター》は何者にも守られていないシールドにむかってショベルを振り下ろす。地響きと共に、シュウジのシールド二枚が破られていった。さらに、《ジャンボ・アタッカー》が最後のシールド目掛けて走る。
「これで終わりだ。君は次のターンで何もできずに死ぬがいい!」
《ジャンボ・アタッカー》の拳は最後のシールドを貫いた。それを見て、シュウジはシールドに力を与えていたカードに触れた。
「さあ、君のターンだ。がんばりなさい」
「いや、俺のターンはまだだ。このターンでできることがある!」
シュウジは最後のシールドだったカードをめくる。それは黒い光を発した。
『shield trigger!』
電子音声が告げるのと共に、シュウジのシールド・トリガーが発動する。突如、シュウジの場に黒い門が現れた。その門が開くと、怨霊の雄叫びのような声と共に中から牙のついた黒い触手のようなものがいくつも飛び出してくる。それは《キャプテン・ミリオンパーツ》に襲いかかった。
「《地獄門デス・ゲート》だ。これでうざったい《キャプテン・ミリオンパーツ》を破壊する!」
「いいだろう。だが、私にはまだ《エクスキュベーター》と《ジャンボ・アタッカー》がいる。攻撃できるクリーチャーは充分!」
「まだ《デス・ゲート》の効果は終わりじゃない。あんたの切り札の命を喰らい尽くし、俺の切り札に命を与える!来いよ、相棒!」
黒い触手は門の中に収まった。その直後、門の中から何かが現れる。
月が銀色の肉体を照らした。鏡面のように磨かれた銀色は月光を反射し、その場を照らす。
背中にはいくつも巨大な剣を背負っていた。大きく広がった翼のようなその剣は四方八方をさしていた。
その龍にはところどころ大きな傷がある。曲面の美しさを打ち消すような不完全さがその肉体に調和していた。
「何だ。何者だ、そのクリーチャーは!」
シュウジが呼び出したシルバーアクセサリーにも似た龍に心を奪われかけたトシオは、自分の精神を保つため、強く叫んだ。それを聞いたシュウジは歯を見せて笑う。
「《黒神龍ダンチガイ・ファンキガイ》。俺の相棒だ。さあ、ラストターン、行くぜ!」
シュウジは手元に取っておいた《ヤバスギル・スキル》のカードをチャージした。これで使えるカードは八枚となる。
「せっかくの切り札をマナゾーンに置いていいのかい?」
「置かなきゃ勝てねぇのさ。まず四枚タップして召喚。《黒神龍アバヨ・シャバヨ》!」
現れたのは水色のクリスタルのような角を持ち、紫色の体を銀色の鎧と鎖、輪で拘束しているような小型の龍《黒神龍アバヨ・シャバヨ》だった。
「《アバヨ・シャバヨ》は出た時に自分のクリーチャーを破壊できる。同時にあんたも一体、自分のクリーチャーを選んで破壊しなければならない。俺は召喚したばかりの《アバヨ・シャバヨ》を破壊する!」
断末魔の叫びと共に《アバヨ・シャバヨ》の肉体は黒い光を発して爆発する。すると、首の鎖についていた銀色の剣が飛び、《ジャンボ・アタッカー》を貫いた。
「これで、満足か?」
「いいや、まだだね。俺はもう一体《アバヨ・シャバヨ》を召喚。そして、自爆!」
二体目の《アバヨ・シャバヨ》も同じように爆発した。今度は銀色の剣が《エクスキュベーター》のの巨体を貫いた。
「これで仕込みは完了。後は殴るだけだ!」
シュウジと《ダンチガイ・ファンキガイ》の目がトシオを見る。気圧されたトシオがたじろいだ時、彼を守るように《コントロール・ファイア》が立ち塞がった。
「《ダンチガイ・ファンキガイ》で攻撃!」
「そうはいかない!《コントロール・ファイア》でブロック!」
トシオが宣言した時、シュウジは山札の上のカードに触れた。
「ガチンコ・ジャッジだ。めくれ!」
シュウジはトシオに対して命じると自分の山札をめくって相手に見せた。トシオも同じように自分の山札をめくって相手に見せる。その瞬間、シュウジがにやりと笑い、《ダンチガイ・ファンキガイ》が吠えた。
「ガチンコ・ジャッジは成功だな。能力……、発動!」
《ダンチガイ・ファンキガイ》が夜空に向かって吠えた時、肉体の内側が紫色の光を発した。その光は傷口から漏れ、公園全体を照らす。吹き荒れる風に乗って桜の花弁が銀色の龍の周囲を舞った。
《ダンチガイ・ファンキガイ》の背中の剣も紫色に輝き出す。銀色の龍がその剣を二本つかむと縦に振り下ろした。紫色の光が軌跡となって残り、そこから何かが出てくる。
「《ダンチガイ・ファンキガイ》がガチンコ・ジャッジに成功した時、その主は進化ではないドラゴン・ゾンビを墓地から出せる!俺が出すのはこいつだ!《シャバヨ》!俺達が進む道を切り拓け!」
現れた《アバヨ・シャバヨ》はトシオの最後のクリーチャー、《コントロール・ファイア》に近づく。肉体を黒い炎へと変化させながら体当たりした。突撃を受けた《コントロール・ファイア》は黒い炎に包まれ、急激な勢いで灰へと変化していく。
「これで邪魔者はいなくなったな、相棒」
シュウジの低い声を聞いた時、トシオは怯えた。自分にはこの銀色の龍とその主を止める術が存在しない。敗北が確定したのだ。それは、彼にとって二度目の死を意味する。
「や、やめろ。君がやろうとしていることは人殺しだぞ。蘇った人間を再び、殺しているのだ!」
「うるせぇ!文句があるなら蘇るな!さあ、汚ねぇ花、散らせよ」
シュウジは低い声で告げると、右の拳を握る。親指を立て、それを下に向けた。
《ダンチガイ・ファンキガイ》の瞳が、まぶたについた傷の光によって紫色に輝く。その瞳に魅入られた瞬間、トシオは口を開くことも考えることも放棄した。《ダンチガイ・ファンキガイ》が振るう巨大な剣はトシオの肉体を袈裟切りにした。傷を負ったところから黒い炎に包まれていく。
「な、に……、者だ……」
自分の体が黒い炎によって消えていくのを感じながら、トシオは右手を伸ばし呟く。シュウジはため息を吐くと、こう言った。
「答えるつもりもないし、名乗るほど大層な名前でもねぇ。ただ、それだけじゃ可哀想だから一つ教えてやる。俺はあの災害の生き残りだ」
その答えにトシオが納得したかどうかは判らない。次の瞬間には、彼の体は全て黒い炎に包まれて消えたからだ。
『complete』
箱から電子音声が聞こえた時、シュウジの場にあったカードは青い炎を出して消えた。トシオの残骸だったものは裏面が赤いカードに変化している。
イオリが閉じ込められた滅亡時計はひび割れて粉々に砕け散った。それと共に、シュウジの足元の空間は色を取り戻していった。花見客はまだ目を覚まさない。だが、死んでいるわけではなく、誰もが健康的な寝息を立てている。
「終わった、か」
シュウジはトシオの残骸のカードを拾い、箱に入れる。その手をつかむ者がいた。シュウジが顔を上げるとイオリの泣き顔が目に入る。
「伯父さん。あたしの伯父さんは……?」
シュウジは答えない。強引にイオリの手を振り払うとカードを拾う作業に戻った。
「答えて!あたしを変なところに閉じ込めて、あなたと戦った伯父さん!伯父さんはどうしてしまったの!?」
「忘れろよ」
シュウジはそれだけ告げると、箱をドラムバックにしまった。ドラムバックを肩にかけると、イオリに背を向けて歩き出す。
「待って!」
イオリは走るとシュウジの背中に抱きついた。シュウジはその場に立ち止まる。
「何だよ」
抱きしめるイオリの手は震えていた。涙の熱が背中に伝わる。振り払おうと思えば、振り払うこともできた。でも、それをしなかった。
「伯父さん、最後の家族だったの」
「それで」
「もうあたしには……、誰もいない。だから、お願い!あなたがあたしの家族になって!伯父さんの代わりになって欲しいの!」
桜が舞う春の夜。
少女の悲痛な叫びが暗く染まった空に響いた。

第一話 終

次回予告
イオリの願いを聞き入れたシュウジは、もう一人の生き残りである田原ミチと共にイオリが住むマンションへやって来た。同居を始めた彼は、新たな生活に戸惑いながら戦いに身を投じる。
死者の肉体を再利用して作り出される人に似た人為らざる者、インスタント。未だ真の目的が明らかにされていない人類の敵に、今夜もシュウジは戦いを挑む。
第二話 夜と交換日記
それは、刻まれ始めた一つの物語。
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